先日、たまたま中村天風さんの本を手に取って読みました。
中村天風と言えば、松下幸之助さんや京セラの稲森会長にも大きな影響を与え、
経営者たちがこぞって教えを乞いに列をつくり、また氏の書いた本は、 多くの経営者のバイブルにもなっている。
ご存知の方も多いことでしょう。

だが、なぜか今までその本を手にすることはありませんでした。
きっと、今手にしたということは、何かのメッセージなのかもしれません。

中村天風さんの経歴を知り、驚きました。

東京で生まれ、あまりにも暴れん坊だったので、福岡に行き、修猷館高校に入り、
そのころ熊本の濟々黌高校の柔道部員と大喧嘩し、一人殺めている。
そのあと、右翼の大物、頭山満に見いだされ、諜報部員として、
中国でまた何人も人を殺している。

その後、29歳で日清製粉の重役、37歳で銀行の頭取を務めるなど、
実業界で成功をおさめ、その間、死の淵を歩きながらインドで修業し、
その後、若くして実業界を引退し、多くの弟子を持つようになる。

尋常ではない人生が彼をその人たらしめたのだろう。

その中村天風さんが書かれたことで、とても印象に残った言葉があります。

「できるだけ明るく朗らかに、生き生きとして勇ましく。
それには言葉に気をつけなさい。
憎いとか、腹が立つとか、まいったとか、
要するに消極的な意思表示を言葉で出さないように。
言葉は言ってしまった時に、
その音響はなくなっているようだが、
波動が残っている。
その波動が残っているということを考えてみたならば、
かりそめにも我が口から人をのろったり、
人の喜びをそこなうような言葉は冗談にも言うべきでない。」

原文を少し端折ってはいるが、こういった内容が書かれていた。

よく聞くことではある。
分かってもいる。理解もしているつもりだ。
ただ、実践できているだろうか。
自分に問い直した。
生きてきた44年間に、何度消極的な言葉を波動として残したことだろう。
それが、地球上をくるくると回っていると考えると、空恐ろしくなりました。

もうひとつ。ちょっと難しいので、よくお読みください。

「自分は、この肉体ではなく、心でもない。
第三者の位置に立って、客観的に自分の肉体や心を考える。

自分のお腹が痛いというときは、隣のおばさんが痛いのと同じように考えろと。
隣のおばさんが今お腹が痛いよと、あなたに報告した時に、
この隣のおばさんの腹が痛いのか。と感じたと同じように、
自分の生きるための道具の腹が痛いのを俺の心に知らせに来ている。
俺の気に連絡を取ったな。と思えば、その苦痛がどれだけ休まるか分からない。

心や肉体は、道具。
心は、思う仕事をする道具に過ぎない。
心は、思ったり、考えたりする以外に仕事をする力がない。
だから、自分というものは、肉体や心の奴隷でなく、従者でもなく、
どんな場合でも心を立派に使いこなしていかなければならない。」

難しいですが、困ったとき、窮地に陥った時に、
こんな考え方をすることができれば、
きっと困難をうまくマネジメントすることができるのです。

死ぬまでに、どれだけ学び実践することができるか。
齢44歳。やらねばならないことがまだまだたくさんあります。